まじめに「政治家を育てる」の巻
「なんで日本の政治家ってこんなこともできないのだろう。」とだれでもが思い、日本っていう国はその程度なんだろうと思う人がほとんどだと思う人が多いと思う人が多いと思う。
それがわななのです。××
つまり「思わされる心地よさ(ヤーバー2錠分)」が自ら穴にはまる現場を視覚的に他人と共に享受できるエンタメ(エンターテイネメント)の刺激であることが第三者的としてどれだけ自覚できるかということなのですが(数千円払って見る価値ゼロの認識)…
まずもって飽和状態のない「それってちょっとだけ知ればイイヤ(知覚段階)でのスンドメ状態」でのエンタメ(もっともっと知りたいと反抗すれば…??)の無理な条件を己に拡散させる方法を与えられた(自覚には『己の作った裁縫箱』)空間です。
西田幾多郎はわかりやすいことばで全く理解できないことを発し、いまだに名を残し、誰も彼の言った意味がわからない。 多分「ゴミ箱のあり方を問う」…かな??
それが、なぜかしら不思議ではなく具体的な今の空間を作ってる。あしたとは関係がない明日。
なんで、そんなもの、尊っとぶのかというのは「わからないからこそ価値がある」程度が一番落ち着きがさだまっているということでしょうか。
頭がいい、悪いというところで収めようとしている者がいるということです。
この回のテーゼ 「認めたくないものだな。若さゆえの過ちというものを(シャー・アズナブル<キャスバル・ダイクン>)」