漢字について

「楓」この漢字、 カエデと呼びます。新しいクラスの名前です。
一瞬この漢字の読みがわかりませんでした。なぜこの漢字の読みがわかるのか知りませんが、知っていました。
でもですね、カエデという木がどんな木なのかわかりません。どんな木なのか知っているのと、漢字の読みがわかるのとどちらがいいのでしょうか。やっぱり前者ではないでしょうか。そして、漢字の功罪でもあるような気がします。たとえば、Aさんが知っている漢字はBさんもまた知らなければいけない漢字となり、さらに、Bさんの知ってる漢字はCさんもわかっていなければならなくなる、というように漢字はどんどん膨れ上がっていきます。いつまでたっても終わらないゲームのようなものです。ただただ負担になるだけです。そのものを知らなくても漢字だけが膨れ上がります。
何とかしなければならないのですが、何とかしたくない知識人もたくさんいます。親猫が子猫を守るかのごとく激しく抵抗しますね、あの人たち。もしかして問題は漢字ではなく、そんな人たちかもしれません。