マスコミという名の巨像の虚像

 日本では、あのー韓国ブームが何となく収束に向かっているのでしょうか。ここタイでは影の部分の擬似日本を代表するごとく韓国ブームは続いています。

 で、本題へ、、、・・サブカル、それは…

 いわゆるアッパラパー世代を狙った市場は日本においては伝統的ともいえる市場になっています。そして、こともあろうにその世代が肥満し続けています。

 しかしながら、というか、おもしろいのは一方向性の追随ではなく、拡散しながらの広がりを見せています。つまり「+」の意味での拡散でもあり、いろいろな雇用拡大にもつながっているのではないかと思います。

 サブカルの「サブ」は「Main」でない、付随された嗜好性で、拡散しつつも固定化(内向き)する答えを出す手段であると考えられます。そこに集う人々は答えを般化されたものではなく、個人アイデンティティとして公表し、般化させていく営みという矛盾した指向を永遠に続けているようにも感じられます。

 まあ、そこでは市場もおのずと生まれるわけです。それはそれで市場の原理が働き、駆動しています。 
 D,サブカルが日本という団体を印象付けるトリガー(引き鉄)になるのであれば、それをうまく外へ発信できないものかと考えるのは当たり前。



 D、問題なのが旧態以前のマスコミが旧態依然の頭で旧態依然の文章をいまだに書き続けていることかな…と。かれらはIQが高いという理由でその(世界)中で飯を食わせてもらっているわけです。

 彼らには旧に対するリスペクトはありますが、サブに対しては偏見からくる、要するに記事対象のレベルでしか見られなくなっていることを全く自覚していない既に駆動することのない言語表象を追い続けているだけなのです。

 彼ら曰く読者にわかりやすく啓蒙しているつもりになっているのでしょうが、じつは自分たちが言語の固定観念を強く持ちすぎているのではないかという、自制が全く見当たらないことに問題の根があるのだと思います。