「生きる」とは流れにそって、生を動かす。
で、助詞もそのように人間の思考の断片を見せてくれる。
1、肉を食べたい
2、肉が食べたい
今のところ、2が優勢ですが、日本語教育では、将来を見据え1を基本にしています。自動詞の安定性よりも他動詞の動きが前面に出ているということでしょうか。
3、京都を満喫する
4、京都を歩く
まあ、3は問題ないですが、4は「を」が通過点以上の意味を表わしています。「を」の他動性が「歩く」の動きをフォローしています。つまり、関係性を強く指向しています。
5、この時代に生きる力
6、この時代で生きる力
上の5,6は意味の違いはそれほど顕著じゃありません。でも、まあキャッチフレーズは5の方がインパクトはまだあります。それは「に」のなんでもござれの安定性ゆえです。
でも、それ以上の主張をするとなると8の方がプレスしますね。
7、この時代に生きるには教養は関係ない
8、この時代で生きるには教養は関係ない
7は結果だけを、8はその結果を得る動きに焦点があたっています。つまり、7は「この時代」がトピックであり、8は「生きる」がトピックなのです。
このように助詞を見ると、「状態」よりも「動き」に焦点が当たっているのがわかりますね。
で、日本語はこれから、のことなんですが、静的から動的の流れなのではないかと思うんです。
要するにヨーロッパの言語の影響なのか、それともヨーロッパの文化の影響なのか、それともヨーロッパの強さの影響なのかわかりません。または新しい日本の潮流なのかもしれません。
この本土で、これぐらい揺さぶられている時代は多分、天武時代以来じゃないでしょうか。
期待半分、失望半分