チョムスキーは言語は生まれであるとし、
認知学派は育ちだとする方向で戦ってきたようです。
で、認知系はどちらもだろうというような流れになっています。
性格についてはどうでしょう。
同じ親、同じ環境で育っても違っていれば生まれとも、育ちともいえなくなります。
2項対立? 要因がもう1つあるんじゃないでしょうか。
どうも知見は刺激に対する反応に対し反応(分析手段)しているようですが、
刺激を受け取るインプットがそれぞれ違っているんじゃないかと思います。
そのインプットをある宗教では前世と呼び、またある宗教では神の贈り物と呼んでいます。
では、その「インプット」はどこから来るのか?それは装置なのか、化合物様なのか、
DNAの隙間なのか、謎がつきません。
<無関係日常写真>
OISHIの味噌ラーメン 99B
やはり若干ぬるいです。
味はまあまあ。まずい味噌ラーメンなんてない!
それと、まずいチャーンビール。どうも一本1本味が違う。
インプットだな、違いは。