「キレる子ども」
最近よく聞く言葉である。ボクが中学生の頃にもいないわけではなかった。
教育が悪いのか?家庭環境が悪いのか?社会が悪いのか?それとも、生物としての機能が低下したのか?
上に挙げた可能性は昨日今日始まったことではない。全てが絡んでいるともいえるし、それとは全く関係がなく個々の遺伝子のほつれなのかもしれない。
1年程前戸塚ヨットスクールの校長が出所した。彼はインタビューで「体罰は教育のひとつである」と断言し、再び校長の座につくことを宣言した。
体罰を人間の成長には必要であるという見解には大学のお歴々は100%反対するであろう。彼らの考える体罰は非常に醜い大人のエゴの反映を見ているのだろう。
戸塚氏の言う体罰とは曲がって育つ枝を矯正する支えだと思う。体罰とは自分よりも強いものを知り、自分の弱さを知り、人のやさしさを知るものである。
というと、必ず出てくる反論がある。体罰と大人のエゴの境界線はどこなのか?誰が決めるのか?と。この問いは体罰を柱とした教育を考えている人のものである。つまり極論である。
多分、日本人男性のほとんどが必要な体罰というものがあることを認めるのではないだろうか。女性はどうか。ほとんどの人は認めないだろう。
女性教師の体罰は感情が先行していたからなあ。キレて学生を殴っていたなあ。女性にはその教師の感覚が分かるから体罰を反対するのだろうなあ。