おしゃべりすると長生きする。

 一般に会話というのは情報の伝達が役割だと考えられている。確かにそういう面はある。しかしそれだけではないのは挨拶の存在で明らかになる。

 A:おはようございます。どちらまで?
 B:ちょっと用事で… 失礼します。
 A:いってらっしゃい

 上の会話で新情報といえば「Bがどこかへ行く」しかない。それもAは「どこか」とはどこなのか追求していないところを見るとその情報を重要な情報とはみなしていない。

 この会話は情報の伝達ではなく、「AはBとある関係にある」という表示であると考えられる。

 おじぎだけでもいいが発話という労力を使っているため積極的な表示であるとも考えられるし、また発話がたいした労力にならないほど親しいことを表示しているとも言える。

 「おしゃべり」になると、情報の伝達と上で述べたエティクな表示だけではなく、会話そのものを楽しむ遊興性がある。

 女性が何時間でもどうでもいい話(?)を延々と話し続けられるのも前者の前提がある(または話者はあると思っている)からである。

 男性はこの話は聞き手にはつまらないものなのではないかと考えるのでそんあに長時間「おしゃべり」できない。

 そりゃあ、そうだよなあと思う。女性は昨日の彼氏とのケータイでの会話を一部始終友だちに話すが、男性はそんなこと友人には絶対話さない。聞きたくもない。

 聞き手が聞きたいかどうかは関係なく話せるその度胸こそ長生きの秘訣なのか。