たとえば平和について

 高校生のときかな、平和の反対が『戦争』だと知りました。違和感アリアリ!!

 当然、状況によってOKなこともあります。でもね・・・…

 日本は平和ですか?という質問にかなりの人はハイと答える。でも、イイエの人は平和を「幸せ」とリンクさせます。曖昧ですね。やぱりハトの足跡のピースと同じよう、どうもかなりいい加減。あっ、平和憲法もかー。?(一応?マーク入れておいたほうがイヤなヤツよばわりを回避できるし)

 じゃあ、平和は階層があるのか、ということに行き着きます。ここで『平和』の定義をせねばなるまい(この言い方はヤッターマンのあれだね)。

 平和→生死が保障された状況。いつ殺されるか、寿命以外にその生命を絶たれる(受身の意味{物主語}と可能表現両方兼ねる)のかの決定権が非常に少ないことはない状況。…・・

 とでもしておきましょう(ここで自殺の数と「平和」とのリンクが断ち切られました:戦時中よりも自殺者の多い昨今)。

 尺度を得た「平和」は個人の感覚で、その意味は拡散していきます。つまり、私の平和とアナタの平和は違うのだと。

 個人的に誇示したい平和が違うのだとしたら、「平和」は「正義」や「安らぎ」に近い存在になります。

 そもそも平和とは個人的なものではないとする考えかたもあるわけですが、なんか最近の時勢を吉田兼好なみに見てみると、ビニールという素材が自然にかえる速度ながら「平和」という素材も「意味」という概念から消え去られていくのかと、

 …可能形やら受身形やらわからぬ表現で閉じたいと思います。ワイ