『個性』という名の典型

 数十年前です。信じられますー!チェックのスカートをはいた男が山手線を一周すれば2,3人は見かけたんですよ。

 イヤ、別にソッチのほうじゃなくて、「男がスカートをはく」ってのを鵜呑みにしてトレンド上に乗っかったファッションリ-ダー(このことば、高3のとき始めて聞きました。お笑い半分、珍しさ半分)たちです。

 ノセルモノ、ノセラレルモノ。ノセルモノはいかにノセラレルモノが自主的にノッテイルモノに見せるかに気をくだき、ノセラレルモノはいかに自分が乗っているかをアピールすることに気をくだいた時代でした。

 で、一応の判断をくだすと「個性」は個人で作られるものではなく、般化させるための流行の一手段、つまり、その系統でメシうを食う人たちのメシの糧として選ばれた一方向性であるといえます。

 ほとんどの人はそこから外れています(つまり、金にならない集団)。その集団、一旦回りだすと札束が洪水に(新表現)お金と変わるのです。チリが山になります。山は個性(という名の歯車)によって作られるのです。

 さて、日本のできることは、個性じゃない典型をいかに効率よく生産し続けるかでです。

 とどこおっています。なんとか応援できないものかとも思います。

 非典型的典型を作れる人、それを支える人が今の日本には不足の傾向を示しているとシーマンIT統計システム管理OP業務専修Ltd.中心(株)が述べています。 

 ん、でもって、御家十箇条

 まず、すっきりTVを見るのをやめましょう。バカになります。

 オリンピックを見るのをやめましょう。頭悪くなります。

 自転車に乗りましょう、車はダメ(土キンの人は特に)。

 食べ物の味を知りましょう(オレ、辛いものダメだっていうのをなくしましょうという意味:辛いもの・苦いものが食べられない人間が言う言葉「こんなモノ食べてると繊細な日本料理の味がわからなくなる」)という舌が子供の人ち。

 ボランティアを生きがいにしている人たち(極力少なく)。ソレデも受けている人たちのTAX免除の好機でしかないのでは…と… (すみません、反撃なしで・・・)


 ブログの訪問者の数だけ気になる人たち。くだらないブログを続けている人たち(オイオイ)。

 笑顔を作りましょう(エガオ(egao)の「A(最初で一番大切)」をなくすとegoになります。

 うまくまとまりましたでしょうか(上記の法度に違反)。 
)。