あいさつとしての”おつかれさまでした”

 コーヒーのコマーシャルでありましたねー。日本人は疲れるのがスキらしいって。

 帰途に着くとき「おつかれー」「おつかれ様ー」「お疲れ様でしたー」なんて言うからだ、です。

 目上に言うときは「お疲れ様でしたー」でしょうか、です。

 でも。このコトバ、です。変化をとげてます。つまり、つまりです。つまり変化をしているのです(同じこと2回言うな(”つまり”のほうじゃない))、です。

 なんと、「でした」ではなく「です」が主流なのであります、閣下。ブンポー化が進んでいるのです。その場の意味→機能語になったのよう、アラマー。

 yousuruni,ようするにですねえ、帰る人Aに対して「アナタは疲れるぐらい仕事をしたとワタシは認める’(刻印)」という個人的評価(刻印)がですね、という解釈の受け渡しをじゃない、「甲と言えば乙」という記号としての会話交換になったのであります、日本語使いの人々の。

 発話者の発話意思から外れ、「おはよう」「こんにちは」「こんばんは」のレベルになったのであることを報告します。(テメーらはどこにいるー???)

 評価から外れた「お疲れ様です」は内的「こんにちは」にも適用されています。身内(所属内)に使えない「こんにちは」の身内語として使えるようになったのでございます。

 テンスを取っただけで使用範囲が広がったのです。しかしながら、テンスがセンスの存在を明確化していると仮定すると、それを抑えてでもそれの使用が好まれるのは、ヒトエに米国から頂いたくだらない、頭の悪い人用、何でもみんな同じ、生きているんだから、裏金持ち優先、貧乏人は金持ちに食いつぶし、という…が…だから、~です。

 で、結論に入ります。

 かの宇宙人が語った「日本人つかれのだいすき」説は「かつての」という注釈を入れなければならないのでございますです。