日々、教師は「どうしてこの学生は勉強しないのか」「ちゃんと教えているのに、なぜ3日後にはすっかり忘れるのか」「彼らは考えるということが本当にできるのか」等々。
不完全な人間(あなた)が不完全な人間(学生)に認知領域をふやすことができるか、が問題ですね。
論理的には無理です。
で、ココで普通は「でも」が出ます。
無理です。
不完全は不完全のなにものでもありません。
だから(「でも」じゃない)、「不完全」に価値があるのです。
不完全の組み合わせは不完全だということを認識させるからです。
それに気づくこと(築くこと)がセンスがあるかないかです。く、うぇ