リストかルールか?

語学の学校のやることと言えば、
目標言語の規則を教えることでしょう。
 
日本語の場合、「テ形」「辞書形」「『そう』のつけ方」など。
 
例えば、「テ形」。
 
学生は、教えた数日は教師が教えた規則からテ形を導きますが、
 
数ヶ月すると規則としてではなく、記憶としてテ形を産出しだします。
 
つまり、規則はおぼえていないんです。思い出すとしても
 
記憶の中にあるテ形のリストから規則を探し当てるという逆の順になるんです。
 
となると、教師の教える規則はクラッシェンのいう学習で、習得にはつながらない、
となると、規則を教えることは時間の無駄になるとあいなります。
 
となると、教師のやることは規則の提示ではなく、学生の語彙、形態、統語、語用の
リスト作成の手伝いをすることになります。
 
となると、教師はリストのルールを構築しようとして、結局振り出しに戻ります。