語学の教師は主に文法を中心に教えるわけですが、学習者は教師が教えた順番に或いは学校が定めたシラバス通りに習得しないことは先行研究によって証明されています。
それはそれとして、語学教師は自分が教えたことに対する責任からか、はたまた学生の未熟さが気になるのか意味交渉にそんなに影響を与えない文法項目にも目を光らせる。
A:*ここにご飯を食べましょう。→ここで
上の間違いを聞いた日本語教師は発話が終わるや否や訂正してしまうでしょう。でも、一般の日本人はどうでしょうか。「ここ」という場所と「食べる」という行為、「~ましょう」という誘いの機能がわかるので聞き流してしまいます。
反論!Aの発話を直さなかったら、化石化してしまうではないか。「鉄は熱いうちに打て!」だ。
実際、中国人学習者の形容詞や動詞の修飾形式に「の」が入る間違いが多く散見され、直りにくいという報告があります。しかし、それも発話命題(言いたいこと)には関係がなく、聞き流されてしまいます。
また、誤用は正用の前段階であるという考えもあります。学習者が個人で持つ目標言語の体系を中間言語と呼びますが、その学習者が言語体験を通して徐々に目標言語母語話者の言語体系に近づいていきます。その過程のひとつが誤用であるという考えです。
反論2!そうは言っても、悠長に正用になるのを待たなければならないのか。時間かかりすぎだ。
いえいえ。だから語学教師が必要になるのです。正用になるのを早める仕事をするのが語学教師です。しかし、言葉をいちいち直すのではなく、その学習者の間違いを気づかせたり、誤用の傾向を認識させることにより、正用への近道を与えることができます。