SAYOONARA

 かつての日本人は分かれる際に色々な挨拶などをしたが「さようなら」というコトバは使わなかったようだ。

 「さようなら」は条件の接続詞として用いられた。江戸時代後期のロドリゲスの『日本語』には商人の会話がスクリプトとして書かれており、そこにも「さようなら」が出てくる。

 A:「一反をいくつかを二百お願いしたい。」
 B:「さようなら、来月までになんとかいたしませう」

詳しく見てみると、「さようなら」は「それなら」として用いられたり、

 A:雨が降ってまいった。さようなら傘をお貸ししませう

というように「それでは」と同義として使用された。それから、「さようなら」は区切りを表すようになったようだ。

 帰るということは今までの対話者との会話の終わりを示すマーカとなるので別れのコトバとして教育部門で選ばれたのであろう(上流階級では「ごきげんよう」が主流)。しかし、「さようなら」も定着したといえるかどうかが問題である。

 今でも使用はされているが教育場面における役割の中でしか使用されていない。つまり学校内(予備校や塾も含む)においてそこに所属する大人ではない者へ、またはそこに所属する大人からの別れの挨拶として機能している。学生同士や教師同士では使用しない。

 どうして「さようなら」が必要か?それは日本全国一律化させたい国家としての要望があったと思われる。根底には平等という概念があった。固定した表現はバカでも分かる装置となる。そのような装置を作ることにより平等を作り出そうとしていたのである。 

 つまり、状況によって別れのコトバを選ばせることよりも一つにしたほうが教えやすいということである。しかしながら人はそんなにバカじゃないので場面によって別れのコトバ(使用しないことも含む)を使い分けている。

 その形骸化した伝統が日本語教育の中でぬくぬくと生きている。外国人学習者はいつまでたっても「さようなら」しか言わない。電話を切るときでさえ。   我々日本語教師が悪いのですが…。