ふたりの前提

 何回か前に「前提」について書いた(打った?)。ヒトが話をするということは、つまりコトバを発するということは、かなりの部分で『前提』が絡んでいることを言った。

 「前提」とは自分(発話者)なりに発せられたコトバの内容のよりどころである。

 ちょっとややこしいが、簡単にいえば…、例えばキャッチボールをするとき相手の球を受けて返すだけではなく、受けたときの感触や投げたときの肩の痛みなどが、球に反映されてしまう、または反映させる意思、意図の源である。

 その球をコトバと考えると話者のそのコトバの責任や考えが映し出されているのがわかる。

 〔男が女性に今日は泊まっていけよと言う〕
   女性:やっぱ、帰る

 この「やっぱ」に込められている「思い」を男は思いはかるのであるが、それはおいといて…。その女性のある前提が「帰る」という行動を、「それはないだろう」という男をふりきって「帰る」なにかがあるわけである。

 そのなにかが「前提」である。女性の頭の中で作られたシナリオが彼女にそうさせたのである。

 男「いいじゃん。別に… 」
 女「…だから イヤなの」

 帰らせてはならないと男は女の発話「帰る」といった前提を無視できるものだということを「別に」で表している。
 
 そしてこの女の「だから」がまたもや男は何が「だから」なのだろうか?自分の心が見透かされているのだろうかと考えるよりどころが前提のある場所なのである。

 くれぐれも女性が、そして男が浅はかな前提に立たないことを祈るばかりです。