或る日常Ⅵ

 ようやくユウヤは立つことができるようになった。柱につかまりながら腕の力でジワジワと立つ。これで腕の筋肉が鍛えられるのだ。

 僕が台所で夕飯を食べているときに必ず僕のところへ来て立とうとする。こちらからすれば倒れて頭でも打つんじゃないかと気が気でなくなる。やはり倒れる。倒れると大声をはりあげて泣きながら母親の所へほふく前進で帰る。

 鶏は3歩で前の記憶がなくなるというが、ユウヤは10分もすると何もなかったように現れ、また立とうとする。本当に懲りないのである。

 発声も母語である日本語の音韻体系に近づきつつある。まずは両唇音のババー/パーパ/ブーブ/ポッポなどから始まり母音は「あ/う/お」の3音が聞かれる。「い/え」は混同される。

 その後、硬口蓋(タ・ダ行)の破裂音が来る。摩擦音(サ行)は難しいらしく単語の前後の子音などを曖昧にして発声している。軟口蓋(カ・ガ行)や弾き音(ラ行)、そして外国人も苦手な破擦音(ツ)が難しいようだ。

 だから僕が帰ってくると「おあいい」「おあえい」とあいさつしてくれる。意味は皆さんはお分かりかと思うが「おかえり」である。その声を聞くと帰ってきたなあと思う。

 初めて、単語らしきものを聞いたとき習得単語を列記していこうと思ったが、獲得の単語がネズミ算的に増えるので途中であきらめた。「クレヨンしんちゃん」もかなり早い時期から獲得していた。しかし「ウアオンインチャ」と発音する。

 当然、発音矯正を試みた。「ウアオン」じゃなくて「クレヨン」だよ。「ウエオン」「違う!」「ウエアン」「違う~、クレヨン」「ウ・エ・ア・ン」と続く。やはり無理なようである。2分ぐらいやっているとユウヤの方が飽きてきて、わざと違うように言い出す。自我だけはあるようだ。

 こんなことしているのもここ2,3年だろう。これもひとつのコミュニケーションの手段としては上場である。