語用論と意味論1

   意味論と語用論の問題が最近浮上している。

 どこまでが意味論でどこまでが語用論か、どちらかがどちらかを包摂しているのか。この問題は研究者によっても違い、言語学の発展のためにはハッキリとした定義が必要であると思われる。

 1、大学生の田中君
通常、この文は「大学生=田中」ということになろう。つまり「大学生である田中君」である。

 2、鈴木君の絵
上の文は「鈴木=絵」ではない。この文にはいくつかの可能性がある。「鈴木君の所有する絵」「鈴木君が描いた絵」「描いた対象が鈴木君」等。この文だけでは一つには決められない。

 3、岩田さんの右
上の例は1,2とは違う問題がある。「右」という位置を示す名詞は通常単独では用いられない。参照点(3の場合、岩田さん)を必要とするコトバである。このことは位置を示す名詞だけではなく時間を表す名詞にもいえる。
 
 4、学生の時
単独では用いられないこのようなパラメータを必要とする言葉(4の場合、時)は不飽和名詞ともいう。しかし4を見ると「学生である時」とも言え、1に近いことがわかる。

 5、去年のイチロー
 上の5はどうであろうか。「去年」という時の名詞ではあるが4とは違う。「去年であるイチロー」とは言えないからである。いうなれば「去年存在したイチロー」ということになろうか。2に近いが同じではない。

 6、PのQ
2の場合、PとQの関係は文脈により様々だが5は通常ひとつの意味となる。では1と同じか。「去年であるイチロー」とも言えないので1とも違うカテゴリーである。

 
1と3と4と5の「の」には固定の意味があると見てよい。よって意味論で解釈される。2は文脈がわからないと「の」の意味がわからないので語用論の範疇となる。