薄化粧

 小学生の低学年のときだと思うが、12月の終わりごろ家族で近くの温泉に行った。

 初めのうちは目新しいので温泉に入ったりロビーで走り回ったりしたが、ゲームもなければ遊び場もないためすぐに飽きてしまう。

 しかたがないので廊下で一人で騒いでいると、母がどこから聞きつけてきたのか、こんな話をした。

 向かいの客部屋には女の子がいて末期のガンであるらしい。それでこの温泉で療養している。だから廊下で騒がないで

 僕はなんとなくではあるがガンが死に至る病気であることは知っていた。この話を聞き怖くなり、なるべく一人で廊下に出ないようにした。

 廊下に出ると向かいの客室がとても気になった。部屋は静かで誰もいないようであった。

 父と数回目のお風呂に入りに行った。脱衣場まで来てタオルを部屋に置いてきたのがわかった。僕は慌てて部屋にタオルを取りに行った。

 慌てていたので怖さを忘れていた。部屋に入ろうとすると向かいの客室の前に人が立っているのに気がついた。

 僕はアッと思い出した。走って来たのでその音で向かいの人が僕に注意をするために出てきたのかと思った。

 立っていたのはおかっぱで色の白い女の子だった。その子は着物を着ていた。僕を見て微笑んでいた。子どもなのに薄く化粧をしていた。そのとき直感で友達になって欲しいのかなと思った。しかし僕は急いでいたので無視して風呂場に向かった。

 父と風呂から帰ってきたら母がミカンを食べながらテレビを見ていた。そしてテレビから目を離さずに言った。

 さっきの話だけど、向かいの部屋にはもう誰もいないんだって。あの話は20年ぐらい前にいた客のことらしいよ。