激突する推意

 人が会話をするというのは情報の伝達が中心であると考えられている。しかしながら、通常の会話においては親和性(ラポート)の確立のための会話が多いようである。

 挨拶や天気の話などがそれにあたり、それ以外でも情報の交換とはいえないものが散見される。もちろん情報交換しながらのラポートも充分ありえる。

 意味の不確定性にも関わらず意味が分かるのは協調的な会話がそうさせている。では、その原理はどうか。

 ひとつは「一般化された会話の推意」、もうひとつは「特定的な会話の推意」である。前者は会話的推意が特定のコンテキストによらないもので、後者は特定の会話時の状況(コンテキスト)の中で推意により会話が進められる。

 後者は語用論で有名な「関連性理論(RT)」で、会話はその場その場で構成されるものであり、その支えとなっているのが聞き手は常に自分の都合により解釈しており、話し手もそれとわかって聞き手がわかるであろう話し方を本能として持ち合わせているというものである。

 前者はレビンソンという人が提唱してしている。ネオーグライス派のひとりで、グライスの会話の協調原理を基にしている。

 1、Q推意:必要な情報だけを与えよ(下限を限定し上限を推意させる)
 2、I推意:必要以上の情報を与えるな(上限を限定し、下限を推意させる)
 3、M推意:普通でない発話は普通ではない

 上の3つの推意により会話が成り立っているとしている。優先順位はQ→I→Mの順となる。当然、前者と後者は反駁しあっている。学会内ではRTが優勢であるが、原理を基にしたレビンソンの推意もおもしろい。RTは科学的ではないため頭打ちになるだろうが、レビンソンの法則はこれから発展する可能性が大いにある。期待したい。

 このあいだ日本語に訳されたレビンソンの本を買いました。でも、まだ読んでいません。非常に面白そうです。読んだらどんな内容かお話します。