百名山が話題となり、老人がこぞって山に登るようになった。
登るだけなら何の危害もないが簡単に遭難してしまう。遭難者救出の費用は県が負担するらしい。つまり税金で捜索しているのである。まったくもって迷惑な話である。
危険とわかりつつ登っているのになぜ全額自己負担ではないのか?という素朴な疑問が起こる。そこには自己責任がないのか。という枕(まくら)から本題に入る。
「どうして山にのぼるのか?」という質問に「そこに山があるからだ」という有名な言葉がある。どこかはぐらかされたような感じを受ける。
そこで語用論の出番となる。この質問は字義的には原因理由を問うている。が、質問者の発話意味は「山に登るのは何が面白いのか」である。つまり「山に登る」意図や動機を答えいるのである。
「山に登る」意図や動機が達成できる状況つまり「山がある」という前提がある。その状況は理由でもあるので字義的には間違っていないことになる。
ただ、質問者の発話意味の答えとしては不十分といえる。そのことがはぐらかされたような感じを受けるのである。
例えば、AがBを殺したとする。Aに「なぜBを殺したか」という問いに「Bがいたから」という返答はおかしい。質問者は意図や動機を問うているからである。
字義的意味と発話意味の違いは表意と推意の違いともいえる。
好きな人いる?という質問の推意を考えてもらいたい。
まあ、この質問の効果的な答えは ヒ・ミ・ツ!だろう。