あいさつ回りのあと会社に戻るとほかの社員が博之によそよそしい。本部長の川崎が来ているということであった。
川崎はにっこり笑いながら「やあ、ひさしぶり」といやになれなれしく博之をソファーに座らせた。
実は君も知っての通り、トップの交代、工場の閉鎖なんかでこの会社もねー
ええ、存じていますが…
で、えー申しにくいことなんだが、君には違う部署でもう一働きしてもらいたいんだよ
というと?
君が手がけたタイ支社の引き払いの経営処理をお願いしたいんだ
後始末ですか
博之はもう二度とタイへは行かないと決めていた。会社もそのことは重々承知であろう。この提案はリストラ警告と同じであった。
会社を辞めて1年経っても他の職に就けないでいたが博之は弘子のスナックへは毎日通い続けた。ある日、スナックのトイレに立っているときにめまいをを感じた。
気がつくと博之は病院のベッドに寝ていた。ベッドにかぶさるようにして弘子が目をつぶっていた。博之はじっと彼女を見ていた。
あっ、博之さん、起きてたの
うん
驚いたわよ
弘子は博之が倒れたてん末を語った。退院後自然に博之は弘子と暮らすようになった。
博之がアルツハイマーであることを告げたのは退院して3日目の夜であった。博之にもどうも最近頭がボーッとしていることが多いことが気になっていた。
翌年の夏、弘子の故郷である熊本へ二人で旅行することにしていた。もちろん、孤児同然に生きてきた弘子には親戚などいなかった。
日に日に病状が悪化していく博之にどうしても故郷の熊本を見せたかった。そして直面するであろう不幸を一瞬だけでも忘れたかった。
-終わり-