ああ無常

 ずうっと昔のことじゃった。彦作のお父さんのお話じゃあ。

 彦作のお父さん(以後、彦作父)はおじいの言いつけで呉羽山に薪を拾いに行かされたそうじゃ。彦作父は本を読むのが大好きだったので好きな本を持って山へ出かけた。

 好きな本といってももう10篇も20篇も読み返した本じゃて、持って行かずとも内容はすらすら言えたほどじゃ。

 薪を半分ほど拾って一休みしとった彦作父のところへタヌキが来よった。

 彦作父こんばんは、今日はおりいって話があるのじゃ
 はて、話とな 
 実はのう 私は一度おまえさんと同じヒトに化けてみたいのじゃ
 ヒトとな
 さようじゃ
 ヒトを化かすのか
 いいや 一度「恋」というものをしてみたいのじゃ
 恋とな
 さようじゃ いかがかのう
 うーん そうさのう 教えてやらんでもないがいいものではないと思うが…
 そうかのう
 この本の話を聞かせてやろう
 どんなことかのう

 彦作父は手に持った本のくだりを目をつぶりながら言って聞かせた。

 ある真面目な男が恋をした。その女はお殿様に妾にならぬかと誘われたほどの絶世の美女であった。男はダメもとで心のうちを女に明かした。女はその素直な心に打たれ、二人は愛し合い、めおととなった。

 しかし、幸せというものは不幸の裏返しである。体を患った女はとこに入って3日もしないうちにコロっと死んでしまった。男はその日から2週間泣き暮らした。そして居ても立ってもいられず会いたい一心で女の墓を掘り返した。

 お棺のふたをはずすとそこには目も当てられないほどのウジがたかった肉の塊があるだけであった。男はそれからヒトの無常を知り、仏門に入ったとさ。

 話し終えた彦作父が目を開けるとタヌキは既にそこにはいなかった。それからこの山でタヌキを見かけたものはいないということじゃ。