キズラ 前
寛政5年、呉羽山ふもとで竹蔵(35)が熊に襲われ死亡。その熊には顔に傷があり「傷面(きずづら)」と呼ばれた。
が、村人たちは畏怖の念からか、または恐怖からか「キヅラ」と呼んだ。
熊は人を襲うことを覚えると、それがきっかけとなり次々に人を襲うという。
平成18年9月も終わろうとしている秋晴れの頃。T大学の学食の床下に住んでいたタヌキが無残な死骸となって横たわっていた。
始めは老衰したタヌキにカラスがたかったのだろうと思われたが、呉羽山山中にでも同様なタヌキの死骸がいくつか見つかった。
その日、10時に起きたヨシオはいつものように自転車に乗ってT大に向かった。
西門を渡ろうとするとなにやら異様な雰囲気を感じた。西門のそばにある弓道部の前では道着を着た女の子が子供のように泣いていた。
図書館の方から怒声が聞こえてきた。
そっち行ったぞ!
警察はまだか!
2mほどの月の輪熊が口から赤いものを垂らして周りにいる人間を威嚇していた。熊の近くで人が二人倒れていた。
これから話すヨシオの行動は彼を知っている友人知人にも説明がつかないものである。
その行動はヨシオの意志なのかどうかは定かではないが、彼も知らない血がそうさせたと言っても過言ではあるまい。