キズラ 後

 平家方、市松宗左衛門の末弟兵衛の子飼、義之岐は弓の使い手である。その武功は将宗左衛門も一目置くところであったという。

 薪の束のように矢を担ぎ全ての矢を敵方に当て、矢がなくなるやとっさにはえている木の枝を折り矢にした。その腕前も倶利伽羅峠の戦では、頭である兵衛の失策が続き、数十数百の槍に倒れはてた。

 敵将源氏方、田辺源之助は彼の弓を持ってこさせ、家臣の道場に飾り鼓舞させたとされる。

 
 ヨシオは坐って泣きじゃくる女の子に、これ、貸してくれる と静かな声できいた。
女の子はパニック状態で弓を放そうとはしなかった。ヨシオは弓をつかんだ。その時の彼女のコメントがある。

 人の腕だとは思えなかった。まるで獣のような…

 ヨシオはまた、静かな声で、矢は?
女の子はおびえた顔で道場を指差した。ヨシオはそこから一本矢を持ち出し、体育館のほうへ進んだ。

 そこから食堂の残飯をあさっている大熊が見えた。その顔に傷のある月の輪熊は殺気を感じたのかあさるのを止め、回りを見渡した。ヨシオと目が合う。

 最初はのっさのっさと、次第に咆哮しながらヨシオめがけて巨体を押し出した。

 ゆっくりと弓を引く。満を持し矢が微かな音をたてる。巨体の獣は焦点を絞っていた目の前が急にまぶしくなり力尽きる。矢はこめかみを貫通し、後ろの銀杏の木に刺さっていた。

 ヨシオは持っていた弓を落とし、自転車に乗り西門から出て行った。

 3日後、ヨシオの乗っていた自転車が呉羽山口に乗り捨てられていた。