新鮮さと普遍

 「○○における第一義的な意味は、先行が後続の音を何らかの形で期待させ、そしてまた具現化された後続はそれによって先行の確認や見直しをはかろうとする―そのような音、音群相互の統語的な関係によっている」(マイヤー、1956)

 上の○○に何が入ると思いますか。そうです。「音楽」です。まるで、言語の説明を読んでいるようですね。前件が後件の何らかの補助的な意味を助け、後件は前件の条件内で解釈する。そして「~のに」のような前件から後件が選ばれた場合、また後件から前件へもどって意味の見直しを計らなければなりません。

 チョムスキー(露語ではコムスキーと言うらしい)がヒトには普遍的な言語理解装置があり、普遍文法があることを仮説したのと同じように、ジャッケンドフによるとヒトには音楽理解・解釈をする装置(器官)があり、普遍音楽が存在するそうです。

 装置(器官)というとあまりにも狭い領域のものを想像しますが、実際にはそれをカバーする色々な認知装置があるでしょう。それぞれがそれぞれをカバーしあい、カバーされることによって、音楽をただの音の連続ではなく、音楽的文節を作って聞き感動するというものなのだと思います。

 音楽には新鮮さも必要に思われます。同じ曲を何度も聞いていると飽きるからです。そしてその新鮮さは言語に存在する流行語なんかにもいえます。商業的に垂れ流される音楽も、テレビに頻出するタレントも異常な速さのサイクルではやっては去り、はやっては去りを繰り返しています。

 ヒトの中にあるとされる普遍音楽も普遍文法も新鮮さを消費するだけの器官なのかと思わないでもないです。