ワタシハ 日本語を オセエテイマス。だから センセイカ。学生より早く生まれている。オウ、十分先生だ。
教育の定義は?となると時間の無駄になるので、ここでは割愛します。
ある某国に(Not亡国)にいるある日本人教師が「チャイマイ?先生はね…そう思って…」と学生と話していました。自称で「先生」!! ははあん、ここがあの問題のトコロかなと感じました。
トレイナーと先生の境をハッキリとつけてこなかったトコロに問題があるのだろう、そして~…と。
日本語教育学会の集まりに行ったこと、あります?
「あれ、何々先生は?」{あらーお久しぶりですー先生」「先生!先生!」「何々先生は後でいらっしゃるから」「先生の○○先生の先生がですね~」、「○○先生!△先生は××先生と今~~」と、センセイセンセイと、、先生のオウシュウです。
じまんですが、私は前の日本語学校でちゃんと「我々日本語教師はお互いに尊敬はするけれども、まだ十分な教師とはいえない。
よって「先生」は敬称であるがゆえ、我々はお互い「先生」と呼び合わない。そのような行為は自分たちの足をすくう(「足元」じゃダメだそうです)。その呼称、障害になること当たり前」と教わっています。
当然、学長であろうと「~さん}です。 先生は中国語の「先生」とは違います。ニホンではあくまでも敬称です。
今のところ、日本語教師はとれいなーの域を超えていませんし、コレを超える政策、人材がいるとも思えません(USAの牧野先生は別)。
その底辺がわかったらこそ、我々がくだらない論文に左右されず、我々が知っている「~~さん」の論文や考えを共有(shareのカタカナの書き方を2分ぐらい考えてました、反省!)できるのではないでしょうか(「~ないでしょうか?」は政治家の街頭演説のかなりの%をしめる)。ツマリ、これは下手なケイモウ。