君に伝えたいこと

 コトバは意を伝える手段である。非母語話者であろうと小さな子供であろうとその手段を知っていれば意味は聞き手に自ずと伝わる。

 意味論では表明された発言の言語形式を命題となり、発話は命題を伝えるという立場で研究が進められてきた。要するにコトバの意味を伝えることが言語コミュニケーションと捉えている。

 ところが言語コミュニケーションにはコトバの意味を伝えるというよりも話し手の意思を伝えると考えたほうが良い例がたんと見られる。
 
 アイサツにみられる発話はコトバの意味を伝えていないのは明らかである。「おはよう」は「今は早いです」という意味を伝えているのではない。
 
 また、A「橋のそばに新しいホテルができたよ」B「行ってくれば」という会話には情報だけのやり取りと思えない(この会話ではAが悲しいだろうし、A「この間行ってきたよ」と付け加えればBが悲しい)ものがある。AはBとともに橋を見物に行きたいと思っているのかもしれない。

 男子大学生の会話でよく聞かれる「疲れた」や「眠い」も命題のみを表しているとは思えない。この両発話は話が途切れたときにされるものである。話し手が疲れたことや眠いことを聞き手に伝えるのではなく、話し手の伝えたいコトが他にある。

 ヒトは二人以上集まったとき友好関係があることを示さなくてはいけないと思うようだ。確かに例外はたくさんあるが、知人同士ではその傾向が強い。

 女性はしゃべる動物と言われるが、男は話す動物である。話すに足る内容などそうない。ストックがなくなれば話は尽きる。しかし友好関係を示さなければならない。そこで必要なアイテムワ-ド「疲れた」「眠い」である。

 聞き手が疲れたり、眠ければ話し手は話す必要が無くなる。つまり気まずい雰囲気を作り出さずに、何かを話さなければならないという強迫感がぬぐえる重宝なコトバなのである。「疲れた」「眠い」は「もう話さなくてもいいよ。俺たちはいい友人じゃないか」という話し手の意図を伝えているのだ。

 でも女の子に使っちゃいけないよ。「私といるのがそんなに退屈なの?」という意図していない推測まで伝わるから。 怖い怖い…