ドウゾ ヨロシク

 たいがいの初級日本語教科書の1課にはこんな会話が出てくる。

<○×学校構内で>
A:すみません、Bさんですか。
B:はい、そうです。
A:私はAです。○×学校の学生です。どうぞ、よろしく
B:わたしはBです。どうぞ、よろしく。

 上の会話はおかしくないですか。なんかロボットが話している感じがします。
まず、Aのいきなり「すみません」から会話が始まっています。通常はこうじゃないですね。
「あのう」とか「あっ」という言葉が入りますね。この両方は聞き手に会話モードに満ちこむ
標識です。言い方にもよりますが、「すみません」だと謝罪かと聞き手に思われます。
 
 次にBの「はい、そうです」です。これもちょっと変ですね。BはAを待っていたかのような
返事です。知らない人に話しかけられたら、「は↓い↑」とか「はい、そうですが…」となりませんか。
どちらもAにターンを返している標識です。「はい そうです」では話が終わってしまいます。

 さらに続けると、次のAは「私は~」と言っていますが、これもいりません。初級で「私」という
コトバを導入したいがための発話文です。それから、構内なのにもかかわらず、「○×学校の」と言っているのは不自然です。

 そして、「どうぞ よろしく」です。このコトバを外国人から聞くと「はは~ん、教科書の日本語を忠実に再現しているな」とわかります。それからおもしろいのは、このコトバを使う日本人は日本語教師に限られることです。

 10中8,9そうです。もはや教科書の呪縛から逃れられなくなると起こる現象の一つです。職業病かもしれませんが、ソトから日本語見るのではなく、教科書から日本語を選択すようになってしまう人がいます。

 タイトルをかたかなにしたのは、外国人の日本語(非母語話者の日本語)をかたかなで書く人がいるからで、そうさせている一端が日本語テキストにも原因があることを主張したかったからです。