「食べる」の反対は「食べない」だ。「ナイ」は否定を表す。しかしながら、そうとは言い切れない「ナイ」もあるようだ。
Aとんだコトだ!/とんでもないコトだ!
Bとてもできない/とてもじゃないができない
AやBは「ナイ」があってもなくてもほとんど意味が変わらない。命題(その文の一番いいたいこと)はおなじである。意味がおなじなのにどうして2つあるのだろう。経済性(余分なものは捨ててしまおう)から考えてもおかしい。
Aの「トンダ」は「途のことだ」という意味で「中途半端である○○だ」という連体詞になる。従って必ず後ろに名詞がつく。それから「思いがけないコトだ」という意味に派生された。
しかし、「とんでもナイ」はその「中途半端以上(中途半端を否定)にもっと悪い/思いがけない」「ありえない」という意味になった。つまりビックリの2乗(bikkuri)×2である。
それだけではない。「トンダ」が拘束された形態(連体詞)であるが「トンデモナイ」は擬似形容詞的なふるまい(文法的な機能)をする。
C : 次期総理はあなたですね
D : いやー とんでもない!/* とんだ!
上の会話Dは「とんだ」は後ろに名詞がないから使えない。「ナイ」が付くことによって自由に活用ができるようになる。
C’ :いやいや、 とんでもなくないですよ。総理決定!
D’ :いやいやいや、 とんでも<なくなくないよ
というように果てしなくつづけることができる。要するに「Pナイ」はP以外のものならどのような可能性もうまれる。
「トテモ」と「トテモジャナイ」もおなじ関係である。「トテモ」は昔は「トテモ _(ジャ)ナイ」の形式で用いられ「~するのは無理だ」ということを意味した(今では「トテモ _ダ」もOKである)。この形式を受け継いで「(トテモ ジャナイ)が、~できナイ」となる。
こうやって見ていくと「ナイ」は奥が深くナイ?↑