蟻と人間

 テロは続く。反分子は必ず存在する。

 アリの集団で働いているのは約70%である。他の30%はフラフラしたり怠けている。そこで、働いているアリ70%を別に移し様子を見るとそのうちの30%は怠けるようになる。そしてフラフラしていた30%のうちの70%が働くようになるそうだ。それで秩序が保たれている。性(さが)だろうか。

 ヒトはどうだろうか。ヒトにも本性がある。そして、ヒトには理性があり感情がある。体系的に言うと本性の下位区分に理性と感情がある。理性は全を目指し、本性は己を目指す。それぞれのバランスで生きているといえる。

 映画や小説ではよく近未来の世界を描く。統制された環境にヒトが住み愛のない世界として描かれている。そして反分子が立ち上がり愛の力でその世界を叩き潰すというキリスト教の世界観そのものを見せらている。

 そこには矛盾があることになる。理性のボスが感情的に理性をコントロールすることがままあり、それが不幸をよんでいるとする内容だ。

 「全」に所属していなかった「己」が立ち上がり、正義を元にそこにある機能を崩壊するというあらすじだ。バラエティとしては面白いが内容はおそまつである。ベクトルが「己」の方にしか向いていない。つまり理性が悪で、感情が正義という公式でストーリが進められている。

 正義は正義なのか。正義という言葉は感情的に正しいと解釈されることなのか、理性的に正しいと理解されることなのかは区別されていない。


 感情が本性の枠を跳び越そうとして理性を利用しているのだろうか。蟻は決してあり以外のものになろうとはしない。人間は同じ本性を持ちながら、排除されるかもしれない30%に入るのを避ける行動をする。