ヒトって本当に”(ヒトとして)イキトシイケルモノ”がすべて平等でなければいけないのだろうか。
今(いまだけ?)の人間世界は’Yes’「当たり前やないかい」の方向に流れています。
じゃあ、ホントに?
どうして?
日本で死刑になったヒトとアナタは同じ?
…で、その疑問、それは極端だと全く思わなかった?
ある偏狭な事件で自分も加害者になるかもしれないと思った?
……でも、どちらかというと被害者の方かなあ…と?
わけのわからない事件を起こしたヒトがいるが、もしかして自分がその関係者になるかも、とかんがえられるけど、当事者(つまり、加害者)とは何となく違う、ような…
という風に突き詰めていくと結構シビアなヒト世界に行き着きます。科学はそれを棚上げにしてきました。って、「心理学」という未だ何がなんだか…という分野を科学に取り組むことしか考えなかったーーと。震災で大きな痛手を受けたヒト。実験台の上に寝かされています。
実に残酷!!
で、おめえ、うるさいよーと。
これって”逃げ”?にげ?ニゲ…?
ううん。その反応は正常じゃないかと、そう思うわけです、ルドは。そんな感覚のヒトがセイジョウな世界を作っていくのではないのではないのでしょうか。
例えが浮かびません。うーーーーーん。ったとえば…タイタニックを見てー、うぇうーーん、いい映画のようだけど、死ぬことだけに焦点をあてたこのつくりってロマンスの域を全く超えもしないし、お金だけ持っていかれる… 今だけ納得するコカインじゃないのか、と……
毎日、テレビというコカインを毎日かかさず、優等生として見ないではおけにわっけですかズウンジ
…あーテンゴクー