知りませんⅢ

 前回、前々回の続きです。

 「わかりません」は話者の領域で「知りません」はそれ以外の領域であると書いた。元になっているのは神尾の「なわばり理論」である。

 「話者のなわばり」は神尾によると、]端圓瞭眦な直接体験 ∀端圓粒暗な直接体験 O端圓寮賁隋熟達領域 は端圓慮朕余霾鵝,裡瓦弔世修Δ澄

 わかりやすいって言えばそうだけど、聞き手との境界が曖昧であることと、じゃあ、自分の領域であると決めるのは誰だ?っていうと結局のところ、話者が判断するので、上の4つ以外にも色々項目をたてなければならなくなる。

 しかし、その考え方は日本語学がやることで日本語教育では重箱の隅をつつくことはしない。学習者がほーそうか、そうだったのか…フムフムってわかればよろしい。

 で、「知りません」が自分の領域じゃないということを示したい場合に使われる例が下の犯人の発話である。

 刑事:お前がやったことはわかってるんだ。相棒はどこだ!
 犯人:知りませんね

 刑事は「わかっている」を使い◆↓の項目で主張しているが、犯人は木枯らし門次郎ごとく「わたしには関係のないことだ」と伝えている。

 それじゃあ、日本人は上の領域だけで、使い分けているのかというとそうでもない。語用論的にあたかも自分に関することのように、「知りません」の代わりに「わかりません」を使う。

 <道をきく>  
 A:すみません、ソープえばらってここらですか。
 B:さー、ちょっと、わからないですねー。

 なんと相手のことを考えて話すいい国民性なんだろうか。すばらしい。でも、多分Bさんは場所知っているね。