フツウ

最近「フツウ」というコトバが普通ではない。
 
 [ふつうにおいしい」「ふつうにヤバイ」という副詞的使用に限られるが辞書で扱っている項目には見当たらない用法が見られる。
 
 『広辞苑』(第三版)では々く一般に通ずること△匹海砲任盡受けられるようなもの、なみ、一般 とある。この意味から上記の意味は見出されない。
 
 そこで、取り出されるのが認知言語学である。通常の意味論からは説明できない派生関係を認知という経験のフレームによって説明できると謳っている。
 
 「ふつう」の「一般」というキーワードが「無標性」という特性に拡張されたと考えられる。
 つまり「そうなるのが当たり前、そうなのが妥当だということから「~と考えるのは問題がない」「何もなかったように~だ」となる。

 例えば「これから試験があるのに彼はフツウに帰っていった。」は「試験があるにもかかわらず、何もなかったように帰っていった」
 「フツウにヤバイ」は「ヤバイと考えるのが妥当である(言語学的にいえば「ヤバイと考えるのが無標である」」という意味になる。

 しかしこの用法も副詞用法に限られ、A「ヤバイよ」B「*それってフツウだよ(無標性があるという意味)」とは言えない。

 個人的にこの用法が定着するとは思わないが、それなりの言語ルールで拡張されるのがわかる。だからこのフツウの副詞的用法の拡張はフツウなのである。