夏(前)

 4歳ぐらいだったと思う。母は僕を連れて夜汽車に乗った。父とはホームでわかれた。なぜ父も乗らないのか不思議だった。

 トンネルに入るたび僕は喜んだ。夜だったので景色は見えなかったが興奮していたのを覚えている。しかしいつのまにか眠ってしまった。

 清水の次郎長で有名な静岡の清水駅に降りた。駅前に白い大きなアメ車が停まっていた。体の大きな男と若い男が乗っていた。体の大きな男は母の弟、つまり僕の叔父だった。

 車は大きな音を立てて走り出した。クーラーが壊れているらしく何度も叔父は母に謝っていた。叔父の半そでのシャツから刺青が見え隠れしていた。

 山のほうに向かっているようであった。砂利道のところで車が止まってしまい、叔父と若い男は必死に車を押していた。叔父は言った。ナリだけデケーんだよ

 着いたところは銭形平次の家のような造りのところだった。土間はかなり広く壁にずらっと提燈が並んでいた。上がりには神棚が祀ってあった。5.6人の男が奥から飛び出してきておかえりなさいと口々に言った。

 母はあまり自分の生い立ちについて言わなかった。だからこのような家系だということも僕は知らなかった。     

 奥から綺麗な人が出てきた。母に向かってねえちゃん、おかえり、久しぶりと言った。母の妹だった。上のねえちゃんちょっと今出てるから、もうすぐ帰ると思う、と時計を見た。

 母と叔母は親しそうに話しているあいだ僕はこの家の中を探検することにした。土間の続きに台所があった。暗く大きかった。庭に蔵があり、かび臭い中をのぞいてみたが何も見えなかった。大きな池に鯉が泳いでいた。亀もいるか探したがいないようだった。後で亀がいるか聞いてみようと思った。僕にとって完全な異空間だったが母が生まれ育ったところなのだ。

 伯母が帰ってきた。母によく似ていた。しかし伯母は目つきが鋭く小柄だった。彼女は僕を見るなりきつく抱きしめた。よく帰ってきたね。僕は離れようとしたが力が弱くできなかった。彼女は若い衆からあねさんと呼ばれていた。ボクはなぜかあまり好きになれなかった。 …続く